でいりいおくじょの

【読書日記】「商人(あきんど)」(ねじめ正一著)

『商人(あきんど)」 (ねじめ正一著 集英社)

日本橋にあるかつお節の老舗の実話に基づく話です。

かつおや昆布といった”だし”食材は
料理人だけではなく料理研究家にとっては興味が尽きないテーマ。

私は以前鹿児島の枕崎に行って
実際にかつお節を作る現場を見せてもらい
実際にかつお節作りも体験させていただいた経験もあるので
この本は一目見た時から、読まずにはおれない魅力的な本でした。

作者のねじめ正一氏は「高円寺純情商店街」で直木賞をとられた作家。
読んだことのある方ならご存知のとおり
「高円寺純情商店街」に出てくる「江州屋乾物店」の一人息子正一少年がねじめ氏です。
「江州屋乾物店」というのは
削りかつおといえば江州屋と言われるほどの評判の乾物屋
そこの一人息子なわけですから鰹節にかける愛情と思い入れは人並み以上。
そんな方の書かれた、老舗鰹節店の物語ですから
これはもう、面白くないわけがありません。

舞台は江戸末期
日本橋の鰹節商伊勢屋
初代が露天で干し魚やかつお節を売ってお金を貯めて看板を揚げたお店。
鰹節商としての商売の波や難しさ、時代の流れ
店を守り受け継いでいく歴史と苦悩
なんのために商売を大きくするのかという疑問
そんな商人の生きざまを描いた作品です。

けれど、商人と目線ではなく
鰹節をめぐる江戸の食文化の変遷という目線でこの物語を読んでみると
また違った面白さが現れます。
この時代
江戸の鰹節問屋はほとんどを大阪から仕入れていて、
浜に行って自由に買い付けたり、
釣り上げた魚を自分で加工することは許されていません。
要するに鰹節は大阪が独占しているので
鰹節の値もいい鰹節を何処に売るかも、大阪の主導で決めれていて
江戸の鰹節問屋は大阪の顔色をうかがってしか、商いができないというのが現状。

(このへんは、司馬遼太郎の「菜の花の沖」にも詳しく書かれていますね)

そもそも、この頃の鰹節というのは、ちょっとした贅沢品で
普通の庶民の間でも
ようやくだしを使う習慣が広がっていきつつある時代で
鰹節といえば、お城や大名屋敷や有力武家の台所で使われるようなものだったんです。

だから、当然鰹節商もそういうところに鰹節を卸させてもらえるかが
商売をやる上でものすごく大事になるのです。

そのうち長屋住まいをしているような庶民の間でも
鰹節人気は徐々に高まってきて
そうなると、大名や武家屋敷に下ろすような高い鰹節ではない
安い鰹節の需要も高まってきます。

一方、この頃江戸では味の軽い醤油が好まれ始めます。
つまり、醤油の発祥の地の熊野の衆は体を使うので、味の濃い醤油を好むけれど
江戸の町衆は、熊野の衆より体を使わないので
それほど塩分はいらず、むしろ旨味の強い醤油を好むようになるのです。
更に、この頃は、屋台のうどん屋も増えてきて
お江戸といえば蕎麦文化だとおもいがちですが
屋台のうどん屋が増えてくると、使う鰹節もそばとは違うものが好まれるようになります。
つまり、スッキリした品のいいだしではなく
こってりした濃い出しがうどんには合うんですね。

鰹は、鹿児島から土佐、紀伊半島、焼津というふうに北上してきます。

鹿児島、土佐、紀伊半島辺りまでは、まだそれほど太っていないので
鰹節にするには雑味がなく上等のものが作れるんですが

それ以上北に来てしまうと脂が乗りすぎて、
こんどは鰹節にはむかなくなる。
その時代、
脂の乗りすぎた鰹ではかつお節が作れなかったのです。
脂を抜く技術が確立されていなかったということです。

そこで、
この物語の伊勢屋をついた主人公伊之助が
カビ付けや燻煙の仕方、回数を工夫して
脂の乗った鰹節でも
美味しだしが出る鰹節にする技術を確立していくのです。

更に、その当時鰹節といえば
1本単位で買うのが普通でしたが庶民にはかなり高価なものでした。
でも、おいしい鰹だしを味わってみたいという気持ちは
長屋ぐらしの庶民にだってあるわけで。
そこで、一回分ずつ削ったものを販売するアイデアを思いつきます。
それなら、どんな人も鰹だしを楽しむことができる。

そういう試行錯誤の中で
主人公の伊之助は
商売というのは先代のやってきたことを守り
先代の失ったものを取り戻すことではなく

それはそれとして眺めながら、
新しい芽を探して見つけて、大きく育てることだと気づいていきます。

ただ、お金持ちのお屋敷に鰹節を卸しているだけではなく
だれでもが気軽に鰹節のだしを楽しめるように
そういう工夫をして、鰹節の可能性を広げていくことこそが
商売の醍醐味だと。

この本を読むと
かつお節って、もっとずっと昔から日本にあるように思っていましたが
せいぜい200年くらいのものだというのにまず驚き

それが人間の知恵と工夫で
どんどん進化して
いつの間にか暮らしの中にしっかり根差している
その事にも驚きました。

だし文化、だしの形はいろいろになりましたが
それでも、だしの旨味を美味しいと思う気持ちは
深いところでつながっています。

だしの形はいろいろになりましたが、
日々、だしの味に親しむこと
味噌汁や煮物が食卓にのること
そういうものをああおいしいなと思う気持ちは持ち続けること。
その時代時代にあったやり方で
鰹節文化を途切れさせない事が大事なんじゃないかと思ったりします。

高級割烹や和食料理店だけのものではなく
普通の人の普通の暮らしの中で
だしが当たり前に存在している
それが大事だと思うのです。

そのために、当たり前に出しを使える方法を考え伝えてくこと
家庭料理研究家としては大事な役割だと思っています。

かつお節を引き上げずにそのまま食べる奥薗流のやり方を
これからも伝えていきたい
次の世代にも伝えていきたい
あらためて思った一冊でした。

コメント

  • Amy より:

    実家の母はお客さんの時は鰹節で、いわゆる正しいとされる方法で出汁をとっていました。普段は煮干か鯖節、昆布、干し椎茸を使っていて、全て引き上げないで食べていました。私は今も母のやりかたです。鰹節をもっと他のお料理にも使おうと思います。

  • 青い料理人 より:

    かつお節は、削られたパック入りのを使っていますが、
    小さい頃、母の手伝いをして(してるつもりで)、かつお節の削り器で、シュッ シュとやったことがあります。
    今のパック入りのような、薄いカンナくずみたいには削れなくて、子供心に工夫してたのを思い出しました。
    削ったのを、つまんで食べたりも。
    当時も削って袋詰めされたのがあったけど、噛んだ味が違っていたかな。
    あの削り器、今わが家にあるのか奥さんに尋ねたら、どこかにはあるけどという返事でした。

    私たちにとって、かつお節は単に出汁、旨味の元以上のものだと思えます。
    大切な味文化の大元のひとつのように。
    先人の方々の知恵と工夫の営みのお陰ですね。
    感謝を申し上げたいです。

    それにしても、奥薗先生の探求心と行動力、枕崎での武勇伝!?に、あらためて脱帽しています。
    ブシブシ、大好きです。

  • 大阪市のまぁちゃん より:

    奥薗先生こんばんは😃🌃正方形の油揚げで奥薗先生の「油揚げの蒲焼き」焼いてまーす。。ウチはだいたい倍量で作るので正方形の油揚げ8枚入り(で売ってました)を買いました。。油揚げを袋状にする時にキッチンバサミでカットして袋状にしてみたんです😊何枚かはくっついてましたがほとんど袋状になりました😃✌これからは正方形のいなり寿司用の油揚げを買って作りまーす。。今夜の晩ご飯と明日公休日の息子の朝ご飯と昼ご飯 そして私は明日仕事なのでお弁当にも持って行きまーす。。明日の昼休みが楽しみでーす🥰

  • ママデューク より:

    鰹節をひきあげずに、そのまま食べる奥薗流の出汁のとり方。手間を省くというだけではなく、鰹節生産者さん達へのリスペクトを込めて、鰹節を味わい尽くすという意図が込められている事を知って、益々とても素晴らしい出汁のとり方だなと感じました。
    そして枕崎でのカツオを片手で持って片手で捌く経験など、色んな事を経験しているのにも驚きました😲
    日本の出汁の食文化。大切にしたいなとボクは感じました。
    それでは失礼致します🙇‍♂️足立区一のお調子者f@

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