でいりいおくじょの

【読書日記】「自然を生きる」独りぼっちにならないように。つながりを考える

釈徹宗さんは
めちゃめちゃ難解な仏教の話を
とても面白おかしく話してくださる方。
 
とはいえ、私の理解力がついていけないことも多々あります(すいません…)
 
そこで、対談本なら、話し言葉なので
分かりやすいのではないかと思い、読んでみました。
 

「自然を生きる」(玄侑宗久・釈徹宗著 東京書籍)
 
知の塊みたいなお二人の対談なので
話し言葉とは言え、かなり内容は濃いです。
 
また、話がいろんなところに目まぐるしく飛びます。
 
いろんな話をされていますが
タテ社会と、ヨコ社会という話をされていたのが
一番印象的でした。
 
昔は、家の中で代々受け継がれてきたものがあって
それは世の中の、たとえば地域の中とかでも
そういう、普遍な部分として守られてきたことがあった。
 
ところが、そのタテにつながってきたものがぶつぶつと途切れ
人間関係が横に広がっているという話です。
 
私は、タテ社会とヨコ社会の是非はともかくとして
インターネットが普及していけば、
それはもう、ヨコ社会になるのは必然であり
これから先、インターネットがなくなることはないことを思えば
これから先も社会はヨコの広がっていくのは間違いない。
 
ヨコに広がることで、長く受け継がれてきた
ある地域の伝統やら、習慣やら
あるいは年功序列とか
もっと言えば、お葬式や、お墓の習慣といった
タテのつながりがどんどんなくなっていき
そのうち消滅してしまう可能性もある。
 
でも、消滅するのではなくて
形式が変わっていくだけかもしれないけれど。
 
釈さんの話のなかで、こんな話がありました。

********************
病気でだんだん体が動かなくなっている人に
明日もまた生きていこうと思えるのは、どんな時ですかと聞くと
こんな答えが返ってきた

誰かとつながっていると感じた時だ
********************

人は、誰かとつながっていることで
自分が生きていることを肯定し
また、生きていることに感謝できるのだと思います。
 
インターネットの普及により
つながりという概念が大きく変化し
血縁とか、地域とかを超えた”つながり”が広がっている

そういう”変化しつつあるつながり”の中に
今、私たちは生きています
 
けれどやっぱり、
人は誰かとつながっていたいし
誰かに必要とされたいし
何かの役に立ちたい


そういうことは、これから先
人間関係が横に広がっていったとしても変わらないはず。
 
そこに、普遍な何かがあるような気がする。

********************

実は
この本を読んだのは5年くらい前で
この読書日記 ↑↑↑ を書いたのも、その時です。

今、改めて自分の読書日記を読み直して
世の中が
釈さんがおっしゃっていた通りに進んでいてびっくりしています。

親子の関係
血縁の関係(家族、血縁)
と言ったタテ関係が希薄になり

例えば、私の周りでも墓終いをする方も多くいるし
何かあったら親戚が集まる
みたいなことも、少なくなっています。

仕事の仕方もそう。
在宅ワークなんて、一昔前なら考えられなかった。

その結果何が起こっているかと言うと

立ち位置が不安定になってくる。
自分はどこに繋がっていて、
何に守られているのかわからない状況になる。

元気で動けるときは、
それでもなんとかなるかもしれないけれど
年をとり、だんだん体が動かなくなってきた時
ここから切実な問題になってきます。

だからこそ
ヨコに広がっていく事が、とても大事になりますね。

タテ社会は、
どこか(血縁とか会社とか)につながっているところが基盤としあって
その中に生活があるというような構造だけれど
ヨコ社会は、自分自身が始まりで
そこから自分でつながっていかないとつながれない
そんな感じがします。

どんな風につながっていくかは自由だけれど
地域とつながるとか
趣味でつながるとか
利害関係のないつながりがいいね

でも、
年をとって、だんだん行動範囲がせまくなり
そのうち、体も動かなくなってくるから

その時
SNSのような横のつながりは、とても重要な役割をすると思う。

若くて動ける時とは違う
すごく、すごく、大きな意味を持つようになる気がしています。

適度な距離感でつながれて
独りぼっちじゃないって思えるような

そんなつながりは
ある意味、命綱にもなる。
そこに、とても大事な何かがあるように思えます

そう思うようになったのは
私自身が、そう言う年齢に差し掛かってきたことも大きいかも。

これから、私自身、どんどん年をとるし
どんどん、体も動かなくなる。

つながりが全くない暮らしが
すぐそこに現実味を帯びて存在しています。

だから、
どういうつながり方をしたいのか
どうやればつながっていけるのか
自分が心地よいつながりとは何か
大事にしたいつながりとはどういうものか

いろんなことが切実な問題です。

つながりという事
今とっても大事なテーマです。

コメント

  • 若見えおばさん より:

    とても、良い話を聞かせて頂きありがとうございます😊
    わたしも、すでにおひとり様になり、子も無く、歳を重ねる事に漠然と不安を覚えます。事故でちょっと脚に障害が残ったので余計に思います。長年お世話になった歯医者の先生がおりましたが、閉院なさって、それでも時折の手紙に返事をくださいます。生きていくことの不安を書いたとき(明日に繋がる事を見つける)事と助言をくださいました。
    (何でも良いのです。猫さんの事でも)と
    たしかににゃんこは大事な家族だし、いつも気を配っています。
    そして、やっぱり誰かと繋がる事も大事だと思い、市のボランティアで高齢者の方の配食のお弁当作りを週いちで始めました。
    新しい誰かと話し、笑い、学び、違う世間をみることができました。
    若い時に会社勤めをしていた雰囲気とはまた全然違うシチュエーションは快い感動でした😊
    そして家庭とは違う大量のお惣菜作りは
    [美味しく食べてもらえると良いな…😄]
    といつも思います。
    わたしはやっぱり、お料理好きだわ〜。
    自分が作るお惣菜は先生のを参考にさせて頂き、今日も穏やかにいきます。
    出会った繋がりは縁と思いながらです。

    • 奥薗 壽子 より:

      明日につながることを見つける事、いい言葉ですね。
      私は、一日の仕事を終える時、明日この続きをやろうってことを残しておきます。
      そうすると、朝起きたときに、そのやりかけの仕事が、自分を待っていてくれたような気がして
      朝から、ちょっといい気分でやり始められます。
      高齢者の方のお弁当作り、良いですねえ~~。
      なんかね、やっぱり、もう、見返りとか、そういう事じゃないんですよね。
      今、自分が何かの役に立って、つながっている事
      その事が、すごく幸せに思える。
      そういう生き方、良いですね。
      ご縁です、そうご縁です!!
      このHPも、皆さんとのご縁で成り立っています。感謝です。

  • ママデューク より:

    イギリスには孤独対策をする孤独省が出来たなんてニュースがちょっと前に話題になっていましたね
    ボクはまだ高齢の母がいるので、孤独感はあまり感じないです。
    今52なのでまだ身体も動き、母が亡くなったとしても、精神科のデイケアとかB型作業所には通って、職員やメンバーさん達との交流は続くのかな?と今の時点では感じています。
    友達や恋人ではなく、ボクの場合は主治医の先生や訪問看護の看護師、区の担当の保健師さん、そして生活保護になったらケースワーカーさんと相談しながら生きていくんだろうなぁと感じています。
    リアルな現実社会での繋がりでは。
    インターネットのバーチャルな繋がりは、趣味で深く繋がってる人が何人かいます。Facebookの大分の70代のベイスターズファンのおじさんとか。mixiのほぼ同年齢の神戸の映画ファンとか。
    現実世界では会う事のないような人達と繋がるのが、インターネットの繋がりの楽しさだとボクは感じています。
    そして奥薗姐さんとの繋がりも今のボクにとってはとても大事です。
    現実社会でもインターネットでも、どっちも繋がりは大事だとボクは感じます。
    中村雅俊さんも、人は皆独りでは♪生きてゆけないものだから♪と歌っていました♪
    長々と失礼しました🙇‍♂️それでは失礼致します🙇‍♂️足立区一のお調子者f@

    • 奥薗 壽子 より:

      良いですねえ。
      すごくたくさんの人とつながっている必要はないと思うのですが
      いろんなところで、小さなつながりがあるのは、すごく良いように思います。
      私も、このHPのつながりは、とても大事で、とても感謝しています。

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